クリストファー・ノーラン監督の難解なタイムトラベル巨編は何度も鑑賞が必要。 パンデミック中の上映に良い作品かは別の話。
デイビッド・シムズ
2020年9月2日
——我々は黄昏の世界にいる
これはクリストファー・ノーランの新作映画TENETに出て来る秘密の合言葉。閉じられたドアを開けて信頼を得るためのパスコードで(相手が仲間なら、「そして、暗闇に友はいない」と応える)、何か哲学的マントラを彷彿とさせるものがある。作品は機密中の機密を探るハイレベルな諜報活動を描いたもので、世界消滅を阻止しようとする戦士たちは混沌とした謎の中にいる。映画の中の合言葉は2020年現在、感染症の恐れがある劇場に私たちがTenetを観に行くという現実を実によく表す言葉とも言える。
私は先日TENETを観る為にブルックリンからコネチカット州まで出掛けた(ちなみに選択として、レンタカーで移動する事は、それほど金額が掛かるものでない)。それより劇場に行くという事自体スリルがあって奇妙な感覚だった。アメリカ以外のコロナウィルス対応が出来ている国々で、本作品は興行的に大ヒットしている。一方アメリカでは、ソーシャルディスタンスや密閉空間での劇場鑑賞は安全面で疑問があり、批評家によっては全くレビューしていないのが現実だ。どちらにしろ、米国で映画を公開している劇場は全体の75%。TENETを観に行くという事は、この週末の余暇のオプションになり得る。そして、観に行った人にとって、この派手なアクション超大作はその謎めいたプロットのために、実際何度も繰り返し観たくなる作品だろう。
これは映画を見始めて直感した。半年ぶりに映画館の座席に座っていた私は「おっ、こいつは、また観なきゃいけないな」と唸ってしまったからだ。近所のスーパーへ買い物に行くことさえ感染のリスクがある現状では、この混乱に満ちたプロットを一本一本紐解くためには、自宅で鑑賞できるようになるまで待つ必要があるかもしれない。でも、TENETは、たった一度観るだけでも十分に熟考可能な作品でもある。ノーラン監督の初期のヒット作「メメント」では、プロットの半分が時系列に進み、半分は時間を遡った。オリジナル脚本の「時間で遊ぶ」要素は監督の十八番だ。「インセプション」では、夢の中で更にみる夢での強盗を描き、数分間の夢が何時間もの長さになるという設定。「ダンケルク」では三つの平行世界で物語が進み、それぞれの世界の時間が一時間、一日、一週間と経過する。これら三作品全てにおいて、時間は障害であり、最終目的に登場人物たちが辿り着くのを阻止し困難を極める原因となる。
ジョン・デイビッド・ワシントンの演じるキャラクターはTENETで「the protagonist(主人公)」と呼ばれる(Warner Bros.)
ここから先はネタバレになるので記事を畳みます(ちよろず)
2010年にインセプションが上映された時、作品は007シリーズ映画の流れを感じさせるものだった。ノーラン監督は、派手な銃撃戦やカーチェイス、高級ホテルや雪の中の要塞を舞台にした映画を撮りたかったと語っていた。しかしインセプションは創造性に満ちた映画であり、一人の男が家族との絆を取り戻す姿が赤裸々といってもいいぐらいに描かれていた。TENETも同じ性質の映画と言えるだろう。なぜなら作品は部分的に、「逆行」のタイムトラベル概念で語られるが、同時にノーラン監督は、登場人物たちが生き抜かなければならない「黄昏の世界」を色濃く描く。映画は、ソビエトの核施設都市近くでの爆撃戦や億万長者の美術コレクションを貯蔵するオスロの国際無関税空港を舞台に繰り広げられ、想像のレベルを遥かに超えた機密事項が明らかになってくる。
映画の中の悪役は、ロシアの新興財閥アンドレイ・セイター(ケネス・ブラナーが大袈裟なパフォーマンスで演じ切っている)。セイターは「逆行」武器の取引を終えようとしている。しかし、真の黒幕はまだ見る事のない未来の巨大な敵で、未来に起きる世界の終わりを食い止めようとする現実の動きに干渉してくる。TENETの中核における大戦争は仮説的で、The protagonist(主人公)と相棒のニール(ロバート・パティンソンが陽気なキャラを演じている)は、未来からの干渉に屈服することなく世界を救えると信じ、現在を守る為に戦う。
物語の構造は、時間を行ったり来たり両方向に動く。これはパズルの箱のような構造で、ノーラン作品のファンなら、徹底的に分析して組み立てることを楽しむだろう。でも多くの観客にとってTENETは過剰に謎めいた映画だと思われるかもしれない。だが監督が物語る大部分は明白な流れとなっている。あまり掘り下げて描かれていない役をエリザベス・デビッキが演じている。彼女の役どころは、セイターに虐待されている妻。彼女は強靭な男たちの「いたちごっこ」の真只中に放りこまれる。そして、スクリーンのワシントンの存在感が素晴らしい一方で、the protagonist(主人公)は思考感情を表には出さないキャラクターとして描かれている。観る側の我々は世界の消滅を阻止して欲しいと願う気持ちを通り越し、思わずワシントンを応援してしまう。
これはジェイムス・ボンドにも同じことがいえると思う。どこにも落ち着くことのないキャラクターにもかかわらず、その鈍器のような存在が映画ファンを魅了する。TENETは文字通りエントロピーで戦争を遂行する巨大な敵の力によって定義された世界に、ヒーローたちを突入させる物語だ。ノーラン監督は物理学の原理が登場人物の動機となるストーリーを縮図のようにして見せた。これほどまでに壮大なスケールの作品は他に類を見ない。ただ息を呑むばかりだ。一方で彼の映像作品の中の人間は時に戸惑い迷う。ノーラン監督の全ての形而上学的職人技を通すと、彼の黄昏の世界に対する紛れもない冷淡さが垣間見える気がする。
デイビッド・シムズは、The Atlantic誌のスタッフライターで、文化紙面を担当。
(テキスト翻訳 by ちよろず オリジナル記事:I Want to Watch Tenet Again. Unfortunately.)